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時代は~現代~杏都(きょうと)の街にある全寮制の女子校、「私立愛津女学園」(あいづじょがくえん)は伝統ある名門校として知られていた。しかし、少子化や社会経済状況等の影響により年々生徒数は減少し、学園の大きな問題となっていた。そこで学園教頭は、かねてから構想にあった愛津女学園の「共学化」を提言。これに対し、歴史と伝統を重んじる学園長・「松平並盛」(まつだいらなみもり)は学園の共学化を良しとはせず、現体制を維持することを強調。これにより学園の女子生徒たちも、自由な校風や男子生徒との恋愛を望む者は共学化に賛成、伝統と学園の秩序を重視する者は共学化に反対と、学園が真っ二つに分かれる形となった。いつしか現体制を維持する生徒のことを「佐学派」(さがくは)現体制を排除して共学化を望む生徒のことを「討学派」(とうがくは)と呼ぶようになり、学園では二つの勢力が小競り合いを続ける事態となる。討学派を指示し、まとめあげる生徒たちも現れ、学園の秩序が乱されていく事に危機感を覚えた並盛は、学園の治安維持を目的とする風紀生徒たちの選抜を行う。そうして選び抜かれた学園の治安を守る女性剣客集団。浅葱色のダンダラ模様の羽織に身を包んだ彼女達は、畏敬と羨望の眼差しでこう呼ばれる。…『新選組』と。そして、風雲急を告げるその愛津女学園に、一人の編入生がやって来るところから物語は始まる。彼の名前は「松原悠」(まつばらゆう)。愛津女学園と共学化の話が出ている、「佐都間男子校」の理事長の一人息子である。共学化実現の前に試験的に男子生徒数十名が編入する予定だったが、並盛はそんな大勢の編入は認めないと突っぱねたため、理事長の息子である悠だけが編入する事となった。当然、討学派の生徒達は共学化のアドバンテージを得るために悠を自分達の陣営に引き込もうとし、それに対し佐学派の生徒達は悠を討学派に渡さぬようにその身を拘束しようとする。かくして女だらけの学園で、一人の男子生徒を奪い合う一大争奪戦の幕が切って落とされたのだった!
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